旅好きな友人と旅が苦手なわたしの話

 ぽっぽアドベント8日目を担当します、空尾です。ぽっぽアドベント、今年もめちゃくちゃ面白い記事ばかりで、まず読者として楽しませてもらっています(はとさんありがとう♡)。自分の一年間を振り返ると……振り、返……うーん……育児に追われていて、この一年に明確に何かをやったという感覚が例年以上に薄いのが正直なところ。でもこうやって一年の最後に誰かの一年の一部に触れられるのは、前向きになれて本当に良いものだなと改めて感じます。

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 ただ、「ゆきてかえりし物語」――旅、というテーマについて考えた結果、自分は旅が苦手なことに気づいたりもしました。でもなんだかんだ旅に行っているなあ、なんでかなあ、あ、そういえばあの人が……と脳裏に浮かんだ友人について、今年は書きました。テーマに沿えているかわかりませんが、よければお読みください。

 前置きの最後に、件の友人には掲載の許可を得ていることを申し添えておきます。

 

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 今年の6月、埼玉から大阪へと、わたしは大学時代からの友人とともに一泊旅行に出かけた。去年の夏に出産してから初めての、家族と離れた一夜だった。

 旅の目的はズバリ、BTSのメンバー、J-HOPEのステージを観ること。わたしは2021年のぽっぽアドベント「難しい顔をしたまま、黄色い歓声を上げろ」という記事を書いた。BTSというアイドルを好きになり、初めて推しができたわたしには、「いつか友人と彼らのコンサートに行き、彼らのパフォーマンスに黄色い歓声を上げること」という一つの夢が生まれていた。あれから4年、ついにその夢を叶える日が来たのだ。

 でも、今回の記事の本題は、その夢の話ではない。

 J-HOPEのステージは本当に良かった。わたしは推しのダンスや歌に、思わずのけ反って天を仰ぎ、「きゃー」とも「ぎゃー」ともつかぬ、今まで出したこともない声を上げていた。

 親になった後でも、こうして好きなアイドルの公演に行けたという経験も大きかった。勿論周囲のサポートあってこそだ。正直に言えば、コンサート中もふと、子どもを胸に抱いているときの感覚が蘇ってきて、推しに黄色い歓声を上げる一方で、ああ早くあの重みを感じたい、という疼きのようなものも感じていた。実家のベッドで昼寝をしていた、30時間ぶりに見た子どもの姿は、いつにも増して可愛く思えた。でも、2025年を振り返ったときにわたしが書きたいと思ったのは、子育てという後戻りのできない旅のことでもない。

 恋焦がれた推しを初めて生で見られたこと、子どもと初めて離れたこと、どちらも特別だったけれど、それと同じくらいに――いや、もしかしたらそれ以上に――特別だったのは、友人Wとその旅を共にできたことだった。

 

 *

 

 わたしは、旅が苦手だ。

 思春期に「起立性調節障害」と一度診断されたが、30代の今でも自律神経に不調が出やすい。特に旅先ではそれが顕著で、胃腸の調子は悪くなり、乗り物には酔い、なんとなくずっと気持ち悪くて、夜は満足に眠れない。ゆっくりしたいねと家族で温泉旅行へ行ったのに、帰ってくる頃にはぐったりしている、なんてこともよくあることだ。

 けれども、わたしは旅が嫌いじゃない。体調が悪くなるとわかっていても、立てていた予定の半分も消化できないかもしれないと予感していても、それでも旅に出たいと思うし、これまでにもなんだかんだ、海外を含むさまざまな地を旅行してきた。旅が苦手なわたしを、それでも旅に駆り立てたもの。その一つがWの存在だった。

 Wは好奇心旺盛な人間だ。フリーランスになって、Wi-Fiさえ入ればどこでも仕事ができるようになってからは、おそらく月に一度程度の頻度で旅行に行っている。数年前には語学研修も兼ねて数カ月海外へ行ったり、とあるジャンルにはまって急に同人誌を作るようになったかと思えば徹夜も辞さずにイベントというイベントに出まくったり、会う度に色々な経験をしている彼女は、わたしにとって本当に刺激的な存在だった(恐ろしいのは、海外に行っていた時期と二次創作にはまっていた時期が重なっていて、海外で語学学校に通いながら仕事や観光もして、更には同人誌も書いていたことだ)。Wは音楽についても好奇心旺盛で、全国各地、ときには海外にも、様々なアーティストのライブを観に行っている。思えば、彼女とわたしが初めて旅行したのはフジロックで、それ以降もスピッツのライブを観に長野へ行ったり、ミツメを観に大阪へ行ったり、BTS聖地巡礼で韓国に行ったりと、「音楽×W×旅」がわたしの旅の定番だった。もちろん、わたしはフジロックの最中に気を失うんじゃないか、というレベルで具合が悪くなったし、旅先で胃腸を壊して予定を不意にする、なんてこともままあった。それでも旅に出たかったのは、Wが語ってくれる旅の話がいつも魅力的で、彼女の話の中の光景に自分も浸かってみたいと思ったからだ。旅慣れているWが、わたしの体調不良を動じずに受け止めてくれるのも有難かった。

 今年、念願だった推しのライブにもWと行けて、産後も変わらずに二人で楽しめたことが本当に嬉しかった。一人で観ていたのでは、同じ公演でも少し味気なかったかもしれない。かつては「アイドルなんて」と内心どこか見下していたわたしにBTSを教えてくれた、旅は苦手で色々と理由をつけては尻込みしていたわたしに軽快な口調で旅の楽しみを教えてくれた、そんなWと観られたからこそ意味のある景色だった。

 しかし、旅好きの彼女が一つ所にずっと留まっていられるはずもなかったのだ。

 

 今年の11月、Wが中国地方に引っ越すことになった。

 

 引っ越しをする理由については以前から聞いていたので、青天の霹靂というわけではなかった。そもそも彼女にとって関東圏は故郷ではなく、大学進学を機に関西から上京し、こちらで就職してそのまま関東で暮らしていたに過ぎない。フリーランスになったのだから、旅行はもちろん、暮らす場所だってどこだってよかったのだ。

 ただ、わたしは猛烈にさびしかった。大人になっても友人が遠くに越すというだけでこんなにさびしくなるものなのか、と思うくらいにはさびしかった。今の時代、ネットを介していくらでも通話できるし、そもそもWが近くに住んでいたところで、来春育休からの職場復帰を控えている自分自身が、彼女と会う時間をどれだけ作れたのかあやしいものだ。大学入学以降、関東で暮らしていたWは友人もこちらに多いので、本人も「東京には結構行くことになると思う」と話していた。それでも、いざというときにすぐ会いに行けない距離に行ってしまったことが、心底さびしかった。

 なぜこれほどまでに、Wとの別離がさびしいのか。言い換えれば、なぜこれほどまでにWがわたしにとって特別なのだろうか。彼女自身の人となり、持っているエピソードの強さなどももちろんある。わたしは自分の周りの人にもしょっちゅうWの話をしており、Wに一度も会ったことがないのに最早十年来の友人くらいにWについて詳しくなった友達もいる(念のため補足すると、Wはわたしが友人に彼女の話をしていることを承知している)。でも、わたしはWの個性を視聴者や消費者のように楽しんでいるわけではない(全くないと言ったら嘘になるかもしれないけれど)。というか、自分好みの楽しいコンテンツは世の中に溢れているし、Wよりも独特なエピソードを持っている人も五万といるだろう。わたしにとってWが特別なのは、大学一年生のときに出会ってから早16年、その年月のなかで変化してきたわたし達の関係性があるからだ。

 学生時代は主に、音楽の趣味がわたし達を繋げていた。Wは人がすすめる音楽を片っ端から聞いてくれる人で、当時英米のインディーロックにハマって、アルバイト代の多くをCD代と来日公演代に充てていたわたしにとって、自分の趣味を共にしてくれる数少ない友人だった。一方、わたしは好きなもの以上に苦手なものや嫌いなものが多く、たまにWがすすめてくれるアーティストについても、当時は全く興味を持とうとしなかった。

 そんなわたし達の関係性は、大人になるにつれて変化していった。以前は、わたしが時の政権への不満や時事問題についてグチグチ話すだけだったのが、いつしか政治の話や社会の問題が、〈わたし達〉の問題として二人の間でごく自然に語られるようになった。互いに高め合ったとか、切磋琢磨していった、というのとはたぶん違う。社会人になってそれぞれ過酷な環境に置かれ(Wは終電後にタクシーで帰るのが当たり前、という会社で働いて心身の調子を崩したり、わたしは忙しい職場で自分の信念をボッキボキに折って現実に折り合いをつけなければならずに毎日泣いていたり)、その状況をサバイブする中で、自分たちを苦しめる問題が何かをそれぞれが見極めていったのだと思う。すると、まったく別の業界で働くわたし達が、実は同じ問題の延長線上にいることが見えてきたりもする。学生時代にWと二人で夜の繁華街を歩いていたら、「カラオケ行こうよ」などと酔っ払いに声を掛けられ、無視して進んでいくと、「ブース!」と背中に悪罵を浴びせられたことがある。当時のわたしは、これだから酔っ払いは、くらいに思っていたが、その出来事が持つ普遍的な問題についても、徐々に理解できるようになっていった。

 そうして問題を共有できるようになったからだろうか、次第にわたしはWがすすめてくれるものに興味を持つようになっていった。先述した通り、ひねくれ者を自任していたわたしがアイドルの曲を聞くようになったのも、旅が苦手なわたしに旅への憧れをいつも呼び覚ましてくれたのもWだった。Wはどんなアルゴリズムも無視して、わたしを突き動かしてくれる。

 

 3年ほど前、わたしはパートナーと事実婚をし、昨年には子どもも生まれた。Wは学生時代からの友人とルームシェアを続け、一度は二人でマンションまで購入したが、それを売り払って、縁もゆかりもない土地に一人で暮らすことを選んだ。わたし達が選んだ道は異なっている。これまでだって、最も近い場所に立っていたわけでもない。わたし達は、「一番の大親友」などと呼べる関係でもないのだ。それでも、16年の紆余曲折がわたし達をどこかで結び付けている。そんな相手がすぐには会えない距離に行ってしまったことが、わたしはどうしようもなくさびしかったのだろう。

 Wが旅立つ十日ほど前、久しぶりに子ども抜きで彼女と会った。ご飯を食べ、お茶を飲み、ゆっくり話をして、最後に立ち寄ったお店で色違いのイヤリングを買った。Wとそろいのものを買うなんて初めてのことだった。少し気恥ずかしかったけれど、心強くも思った。

 そうだ、Wがいる場所が、次のわたしの旅の目的地だ。子どもと夫(未届)と一緒に会いに行くかもしれないし、一人かもしれない。わからないけれど、耳元にはあのイヤリングをして行こうと思う。帰る場所は違っていても、同じ輝きを身につけられていたらそれでいい。わたし達にとって苦しい時代はつづくだろうけれど、わたし達は一人じゃない。そのことを確かめ合うために、旅に出よう。

 

 友よ、わたしたちの「ゆきてかえりし物語」が交差する場所でまた会おう!

 

2025.12.8

空尾

 

 

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 明日、9日目はハルさんです!イギリスの蒸気機関をめぐる旅の話ということで、これまた面白そう!

不機嫌な女、親になる。~安定期編~

 ※前回から三カ月以上間が空いてしまいましたが、特に理由はないです。赤子ともども元気です。

 

▶不機嫌な女、親になる。~安定期編~

 

 妊娠期間には「安定期」と呼ばれる期間がある。安定期に入る頃にはつわりが終わる、安定期に入る頃には流産の可能性が低くなる、安定期に入ればだいぶ楽に……。

 なんとなく察してくださる方もいるかと思うが、安定期も別に安定などしていない。わたしの場合はつわりの症状はほとんどなくなっていたので、その点で言えば楽にはなった頃だった。でもその分、お腹のふくらみが目立ち始め、腰が痛くなったり、つわりほど慢性的ではないにしても気持ち悪さが出たり……。妊娠前の普通の体調を10としたら、良くても6くらいの状態だっただろうか。しかもこの頃、ちょうど抱えている大きな仕事があり、次年度に向けた動きもあって、気忙しい日々だった。

 仕事と言えば、職場の誰にどのように妊娠を報告するのかも、ちょっと頭を悩ませる問題だった。上司には早めに報告し、それ以外の人には安定期に入ってから……というのが一般的なラインだろうか。勿論ここの辺りのことは、職種やその人が置かれた環境などに依るところも大きいだろう。わたしの場合は、まずは上司に報告、というところまではセオリー通りだった。ただ、安定期を待っていては、つわりの一番つらい時期に、同じ部署の同僚など身近な人に妊娠のことを伏せていないとならない。来年度に向けた動きについての話も出ていた頃だったし、言っておいた方が色々とスムーズだろうと思い、同じ部署の面々と、通勤を共にすることの多い同僚には、安定期に入るのを待たずに報告することにした。報告といっても格式ばったものではなく、何かの話のついで程度にあくまで軽い調子で告げた。

 わたしが働く職場は、特に同じ部署においてはフランクな関係性なので、こちらもそれほど身構えずに話せたけれど、こういう話をいつ誰にするのかっていうのは、結構難しい問題だ。わたしも、同じ部署の人には知っておいてもらった方が安心だと思ったが、ほかの人にこの時期に知られるのは嫌で、通勤時にマタニティマークを付けるのをずっと躊躇っていた。でも、席を譲ってほしいくらい体調が悪いのも、はた目には妊婦に見えない安定期前の頃なのだ(妊婦らしい体形になってマタニティマークを付けていても、必ずしも席を譲ってもらえるわけではないことを、この後に思い知ることになるのだけれど)。

 一度、朝の通勤中に体調不良になり、職場の最寄り駅に着いてすぐに、反対方面の電車へと乗り換えたことがあった。運よくその時は座れたのだが、途中から乗ってくる人で徐々に車内は混み始めた。と、ある駅に電車が停まったとき、杖をついた男性が乗ってくるのがわかった。男性はわたしに背を向けた位置で吊革に捕まった。リュックサックにはヘルプマークが付いている。わたしは辺りを伺った。席に座っている人の多くはスマホを見るか、俯いて目を閉じているかで、男性に席を譲る人はいなかった。電車が次の駅に着く前に、わたしは男性に「座られますか」と声をかけていた。男性が「ありがとうございます」と席に座ると、わたしはドアのところに行って、そこに寄りかかるようにして立った。なにしてるんだろう、と思った。自分が正しいことをしたとか間違ったことをしたとかいうことではなく、具合が悪くて家に帰っているのにいったいなんでこうなったのか、自分でもうまく説明できない感情に襲われて、車窓を眺めながらぽろぽろと涙を零していた。マタニティマークを付けていればこういう事態は避けられたのかもしれない。でも、そういう問題だけでもないだろう、現にヘルプマークを付けて杖をついた男性に席を譲ろうとしたのは、わたしだけだったのだから。

 妊娠後期になってお腹が更に大きくなると、電車やバスで席を譲ってくれたり、お店などで気遣ってくれたりする親切な人に何人も出会った。中にはこちらの想定を上回るような声かけをしてくれる人もいて、有難いなあと思うことも多々あった(ちなみに、個人的な経験としては、親切にしてくれる人に老若男女の偏りはあまりなかった。どちらかと言えば女性の方が多かったかな、程度で)。でも、優先席の前に立っても譲ってもらえないことも何度もあったし、足腰に不安がありそうなお年寄りが乗ってきても、席に座っている誰も顔も上げない、なんて場面に出くわすこともしょっちゅうある。この世の中に、親切な人はいる。でも、もっと親切があふれてもいいのでは、と思う。こう言ってよければ、それほど親切でない人もそこそこ親切ができる程度の余裕のある社会がいいな、とわたしは思う。わたし自身もそれほど気遣いのできるタイプではないし、愛想のいい方でもなく、せっかく親切にしてもらったのに口ごもりながら「ありがとうございます」とか「すみません」とか言うのがやっとだったりする(そしてその後ものすごく後悔する)。

 見知らぬ他者との距離感をつかむのが難しい現代で、街中ですれ違っただけの人に親切にするのは勇気の要ることだとつくづく感じる。だからこそ、そんな中でもサッと手を貸してくれた人から、その行為以上に価値のあるものをもらった気持ちになったし、自分も誰かにそれを手渡したいな、と思う。

 

 第三回へ続く……

【ぽっぽアドベント2024】ヒビを入れろ!【9日目】

 今年もやってきました、ぽっぽアドベント

 

枠を壊せ! Advent Calendar 2024 - Adventar

 

 9日目を担当します、空尾です。ぽっぽアドベントには毎回参加させてもらっていて、年末が近づいてくると「今年はこういうこと書きたいなあ」とぼんやり考えるくらいには、かなり自分の人生の一部になってきている気がします。はとさん、いつも本当にありがとう。

 今年は例年以上に「何」を書いたのか、明確に言えない感じの文章になってしまいました。でも、「何」を明確に言えない文章もまた、一つの《枠》の壊し方なのかもしれません。それでは以下、本文です。

 

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 今年記事を書くなら、きっと初めて経験した妊娠やら出産のことだろうな、と一カ月くらい前から考えていた。

 ちょうど一年前の12月に妊娠が発覚し、8月に子どもを産み、今は夫(未届)と共に育休を取って、自宅で育児をしている(わたし達は婚姻届けを提出していない、いわゆる「事実婚」のカップルで、住民票の続柄のところには「夫(未届)」と記載されているため、わたしはネット上で相手の事を「夫(未届)」と書いている)。

 ぽっぽアドベントの記事を書くにあたって集中したいからと、夫(未届)に子どもを託してカフェに行った。妊娠や出産、育児など、初めての経験ばかりだった一年、「枠を壊せ!」というテーマに沿って、あれやこれや色々なことを書こうと勇んでいた。

 が、カフェに行ってパソコンと向き合うこと1時間……書けなかった。

 数日後、授乳と授乳の間のタイミングを見計らって、再びカフェに行ってパソコンを開いた。とりあえず書いた文章が、4000字くらいにはなっていた。しかしまったくピンとこない。人が読んで面白いものを書くのは難しくても、せめて自分の書きたいことを書けていればよかったが、自分自身でも目の前の文章に少しも納得できなかった。そういえば、作家の育児エッセイに感化されて始めたブログも、たった一回で更新が止まってしまっている。

 昔から文章を書くのが好きで、20年以上趣味で二次創作をし、仕事でも年間10万字以上は文章を書いている。最近、情熱を傾ける先の対象がなくて二次創作をしていないからか、仕事から離れて文章を書く必要がなくなったからか、とにかく文章が書けなくなっていた。これ以上ディスプレイとにらめっこしていてもどうにもならなそうだったので、初めに書いた4000字は消した。さあ、どうしようか。

 自分の担当の日付が3日後に迫ってきて、さすがに焦りが生まれてきた。隙間時間に読んだほかの人の記事が面白くて、更に焦燥感が募る。焦って、どうしよう、どうしようと悩んで、アプリで次の授乳の時間を確認して……。

 そうして少しすると、不思議なことに、なんだか楽しくなってきた。こういう焦り、久しぶりだ。

 育児の中で焦ることは当然あるけれど、子どもと親である自分(と夫(未届))の二者の間で起こることと、ぽっぽアドベントというたくさんの人がかかわる場に文章を届けられるかどうかということでは、焦りの質が違っている。家の外にいる人たち、まだ会ったこともない他者に向かって、自分の一部である“何か”を届けるということ。「枠を壊せ!」っていいテーマだな、と改めて思った。ぽっぽアドベントという存在が、わたしを「家」という《枠》から引っ張り出し、慣れないながらも築き上げた「親」という《枠》の外にも世界があったことを思い出させてくれる。文章としてはまとまらなかったけれど、「枠を壊せ!」というこのテーマに向き合うことで、自分がどんな《枠》に囚われていたか、逆にどんな《枠》によって自由になれたかということを、見つめ直せたように思う。

 

 少し肩の力の抜けたところで、改めて自分の《枠》について考えてみる。

 

 子どもをあやすとき、自分がよく「ここにいるよ」と語りかけていることに最近気づいた。生後3カ月を過ぎて自分の面倒を見てくれる存在に気づき始めたのか、子どもはわたしや夫(未届)の姿が見えないとぐずることがある。そんなときは家事の手を止めて子どもの顔を覗き込み、「ここにいるからね」と笑いかける。わたしの顔が見えると安心するのか、子どもはこちらの目を見てにっこりと笑う。

 この「ここにいる」ことを互いに確かめ合う作業が、なかなか面白いなと思っている。わたしは子どもに「ここにいるよ」と語りかけながら、同時に子どもが「ここにいる」ことを確認して安堵してもいる。赤ん坊は存在が不安定に思えて、寝ているときなど時々息をしているか確認したくなってしまうことがある(実際、確認している)。未来や過去の感覚をまだ持たない赤ん坊にとっても、自分にとって身近な人間が「ここにいる」ことを確かめる作業は、何よりの安心につながるのだろう。

 そう、赤ん坊と向き合う時間は、何より「いま・ここ」を大切にする時間だ。何か大きな目標に向かってやるとか、効率よく進めるとか、今流行りの「コスパ」や「タイパ」みたいな、そういうこととは違う側面が育児には多分にある(勿論、何かに追われてしなければならないことも多分にある)。「ここにいるよ」と子どもに言いながら、わたしは職場の大先輩が出産祝いと共に贈ってくれた言葉を思い出していた。「贅沢な時間を楽しんで」。子どもと共に「いま・ここ」を慈しむ時間は、たしかに何にも代えがたい「贅沢な時間」なのかもしれない。

 わたしは昔から子どもが好きだったけれども、育児自体には狭い《枠》の中に閉じ込められるようなイメージを抱いていた。けれども育児そのものは、《枠》などというものには収まりきらないのではないか。育児に《枠》があるとしたら、それは社会の側が「親ならば」と作り上げたものなのだろう。勿論、子どもは社会の中で育っていくものでもあるから、何かしらの《枠》が必要なこともある。ただ、子どもと向き合う時間は、過去にも未来にも縛られないという意味で、わたしを自由にしてくれてもいる。

 ――こうしてたった三カ月の育児の経験を綴りながら、自分が育児を自由だなんて思えるのは、わたしの努力の賜物でもなんでもなく、特定の条件が揃ったからに過ぎないのだとも強く感じている。わたしだけでなく夫(未届)も半年以上育休を取れたことは大きいし、近くに家族がいて、必要があれば誰かしらが応援に駆けつけてくれる安心感があるのも稀有なことだと思う。時々一人になれる時間を取れているからこそ、自分が囚われている《枠》を客観視することもできる。

 だからそういう意味では、誰もが安心して育児をできるような、「制度」という名の《枠》をつくっていく必要性も感じている。妊娠してから初めて育児雑誌に目を通したのだが、多くはプレママ向けに書かれたそれには、退職する場合はどうするのか、ということにかなりの紙幅が割かれていた。出産を機に退職する選択肢を個人が選ぶことについて、とやかく言いたいのではない。ただそれが当然に産む側にだけ強いられる選択であること、そして仕事を続けたくても条件が許さない場面が容易に想像のつくことに、この社会の行き詰まりを強く感じた。わたしと夫(未届)の職場はたまたま育児に関する制度が充実していたが、それを「自分たちは恵まれていた」で終わらせてはならないと思っている。そもそもわたし達が享受しているそうした「恵まれた」状況だって、誰かが勝ち取ってきた権利なのだから。

 そう、出産・妊娠・育児を経験し、これまで社会の中の強固な《枠》を壊してきた先達の存在を、より強く、より身近に感じるようになった。

 《枠》を壊すには時間がかかる。冒頭触れたように、わたしとパートナーは事実婚を選択している。現行の結婚制度に不満のあったわたしは、法律婚という選択肢は最初から眼中になかったが、それでも事実婚に踏み出すにあたって不安もあった。けれども実際に事実婚をしてみると、案外と支障の少ないことがわかった。職場の結婚祝い金もすんなりともらえたし、周囲の誰も「新しい名字はなんて言うの?」なんてわたしに聞いてこなかった。こういう変化を「時代が変わった」なんて言葉で表現する人もいるけれど、「時代」なんて実体のないものではなく、実際にそこに存在した人々が色んな方法でそれまでの《枠》にヒビを入れてきたからこその変化なのだと思う。

 わたしと夫(未届)は、結婚式を挙げたりウェディングフォトを撮ったりはしなかったけれど、結婚指輪はそれぞれのお金で揃いのものを買った。指輪のデザインに特段の希望を持たないわたしが、指輪を決めるにあたって一つだけ望んだことがある。「18字以上のアルファベットを刻印できること」。わたしは指輪を身に着けるなら、その内側にこう記したかった。Smash the Patriarchy ――家父長制打破、と。

 だから、わたしが今この文章を打っている左手の薬指には、「家父長制打破」と刻まれた指輪がはめられている。指輪を購入するとき、「この言葉を入れてください」と紙に書いて示すと、店員さんは「オシャレですね」と返してきた。店員さんの真意はわからないけれど(見慣れない単語だった可能性は高い)、わたしとしてはこの言葉をただのオシャレなアクセサリーにはしたくないと考えている。

 先に、事実婚でも支障は少なかったなんて書いたけれど、それは一面的な事実で、いま進めている家の購入に際しては様々な支障があった。恐らく事実婚であるという事実だけでペアローンの本審査に落ちたときは、マタニティブルーズの真っただ中だったこともあって、かなり落ち込んだし、柄にもなく、「自分の“わがまま”のせいなのか?」という疑問が頭を過ったりもした(その後、事実婚カップルが審査を通った実績のある銀行を紹介してもらい、無事に審査を通った)。一般的な選択とは別の道を行けば、きっとこの先も何かしら面倒な場面が生じるだろう。でも面倒なことに取り組み続けることが、後を行く人たちの道筋を作ることにつながるのだとも思う。

 ――わたしの一撃で《枠》が壊れることはなくても、そこにわずかなヒビでも入れることができたなら。

 自分の特権性には留保しつつ(事実婚という選択をしたことで、自分が異性愛者であるという、法律婚事実婚の区切りよりずっと強固な《枠》に守られた存在であることを痛感した)、自らを戒めるために刻んだ「家父長制打破」の文字を裏切らずに生きていきたい。それに、わたしは自分が一人でないことを知っている。先人たちがわたし達を取り囲む《枠》にヒビを入れてくれたように、今も様々な場所で様々なやり方で様々な人々が《枠》にヒビを入れ続けている。「枠を壊せ!」というテーマでぽっぽアドベントに集まった記事も、そのことを証立てているように感じる。

 つらいニュースが続いた夜、子どもを胸に抱いてその顔を覗き込みながら、「絶望しないぞ」と何度も呟いた。いまこの時も拳を突き上げて、それぞれの《枠》にヒビを入れようともがいている人たちがいる。安全圏で「絶望した」だなんて嘆いて、自分を無力な存在と見なすのも一種の傲慢さだろう。子どもとの「贅沢な時間」を逃げ道ではなくエネルギーに変えて、目の前の《枠》に挑んでいきたい。そのヒビがいつか大きな割れ目になって、この子たちがその《枠》を突き抜けていく日がくるかもしれない。

 Smash the Patriarchy! わたしは左手を握りしめる。

 

2024.12.9

空尾

 

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 さてさて、明日はみんな大好きチグリスさん!です!毎年チグリスさんの記事を楽しみにしています。今年はどんな記事を読ませてもらえるのか…ワクワクです。

 

不機嫌な女、親になる。~つわり編~

「奇跡だな」

 そう言った医者の横顔が、印象的だった。

 

 2024年8月。第一子を出産した。

 予定日より3日ほど遅れたが、定型文を使えば「母子ともに健康」というやつだった。この定型文は、私もこれまでの人生で何度も聞いたことがある。親戚の出産、職場で報告される同僚の出産、ドラマや映画の世界の出産……。けれども、この定型文の中にどれほどのバリエーションがあり、どれほどの苦労があるものなのか、頭ではわかったつもりになっていても、身をもって経験するまでやはり自分は何もわかっていなかったのだと、そう、今ならわかる。

 

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 ここでは、妊娠から出産、できれば産後についても、エッセイ的な感じで書いていきたいと思っています(「不機嫌な女」というのは、4年前のぽっぽアドベントで「不機嫌な女でいたい」というタイトルの記事を書いたところからきています)。今回は第一回「つわり編」です。

▶不機嫌な女、親になる。~つわり編~

 

 わたしの妊娠の経過は、一般的に言えばかなり「順調」だったと言えるだろう。つわりも一般的な長さで治まったし、切迫早産などにもならなかった。でもそれも数値とか、医学的な観点での話で、決して「楽だった」と振り返ることはできない。

 だいたい妊娠2カ月くらいから、なんとなくの不調を感じるようになった。わたしにとってとても大事な姪と出かける予定も、体調面の不安から断念することとなり、姪は勿論わたしもかなり落ち込んだ。

 けれども体の不調の本番は、むしろここからだった。

 3カ月に入るとつわりの症状が強くなってきた。わたしは妊娠するまでよく知らなかったのだが、つわりと一口に言っても症状は多岐にわたり、こちらも個人差がかなり大きい。わたしは所謂「食べづわり」(空腹時が最も気持ちが悪く、何かしら食べていないとしんどい)というやつだった。つわりと言えば便器に向かって吐き、炊き立てのご飯の香りがダメになって……みたいな、これまでぼんやり描いていたイメージとは違い、わたしはとにかく、パンを食べ続けた。

 寝起きがいちばん気持ちが悪いので、枕元にはハムカツサンドを置いて寝、朝はベッドから起き上がる前にそれを口に詰め込んだ。仕事の合間に食べられるように鞄の中にはセブンイレブンの四個入りの小さなパンを常に携帯し、通勤中や仕事で手が空いたときなど、空腹の気配が近づいてくるとすぐにそれを口に入れた。帰宅時に同僚と電車に乗っていて、話をしている途中に「ちょっとすみません」と言って徐にパンを食べだしたこともあった。気の置けない間柄の先輩からは、休憩中にパンを口に詰め込む姿に「すごい顔して食べてるね」と率直な感想をもらったこともある。

 ちなみに、何かを食べたからと言って気持ち悪さが軽減されるわけではなく、当時は、これ以上気持ち悪くならないために食べる、という感覚だったように思う。基本的にずっと気持ち悪いのだが、その気持ち悪さが10段階の5だとすると、お腹が空けば空くほど、6、7、8……と数値が上がっていく感じ。唯一救いだったのは、気がまぎれるせいか、仕事中の方が気持ち悪さを感じにくいことだった。ただそれも、午前中はよくても、午後になると段々気持ち悪さが強くなっていくことが多く、夕方になると何をしていてもごまかすのが難しい状態になった。

 作家の出産・育児エッセイが好きで何冊か読んだのだが、その中には「つわりのときに食べた〇〇がたまらなく美味しかった」というような、「つわりのときだけ最高に美味しい食べ物の話」が度々登場した。生来食いしん坊の私は、そういう“つわりマジック”を心密かに期待していた。が、食べづわりにも関わらず(食べづわりだからこそ?)、私にはそんな“マジック”は起こらなかった。ずっと何かしら口にしてはいるのだけれど、美味しいという感覚はほとんどない。この時期、モスバーガーのモスチキンとシェイクを食べたくなって、何度か夫(未届)に買ってきてもらったのだが、それもムシャムシャ食べてゴクゴク飲みながらも、妊娠前にたまに食べて感じていたような美味しさは感じられなかった。味がしないわけではない。味が変わったとも思わない。モスチキンはモスチキンの味で、モスシェイクはモスシェイクの味だった。でも、美味しく思えない。あれだけ食べたパンも、ただただ口に入れているだけで、味わっているという感覚は皆無だった。食べる量は増えたのに、食べる喜びは失われている。わたしにとってのつわりとは、食事から彩が――つまりは、人生の喜びの内の何割かが――失われた期間を意味した。食いしん坊にとって、なかなかにしんどい時期だった。

 つわりが落ち着いたのは、妊娠4カ月の半ば頃だったように記憶している。経験者からは「ある日急に気持ち悪さがなくなってるよ!」と聞いていたのだが、わたしのそれはどちらかと言うと、ちょっとずつマシな日が増えていく、漸次的な終わりだった。

 わたしの周りには、つわりが全くなかったという友人もいた。一方で、嘔吐が止まらずやせ細り、しばらく仕事を休まざるを得なかった同僚もいた。そしてわたしはと言えば、美味しく感じもしないパンを「すごい顔」で、ひたすらモグモグ食べ続けた。

 つわりだけを取り上げても十人十色。しかも話に聞くところでは、同じ人でも妊娠ごとでつわりの出方が違うこともよくあるそうだ(一人目はほとんどなかったのに二人目は吐き気がひどかった、とか)。つわりの真っただ中にいたとき、よく他の人のつわりに関するマンガやらエッセイやら呟きやらを見ていたのだけれど、そこで思ったのは「みんなつらくて、みんなえらい」、ということ。自分よりつわりのつらい人を見ると、ついつい「わたしなんかがつらいって言っちゃダメだよな……」と思ってしまいがちだけれども、自分より症状の重い人がいたからって、自分自身のつらさを過小に見積もる必要はないのだ。だってつらいものはつらい。それに、わたしがそうやって他人と比べて自分のつらさを我慢してしまえば、今度は別の人が「この人も我慢している、それなら自分も……」となりかねない。そうやって女性に我慢の連鎖を強いていく仕組みが、この国のあらゆるところにあるとわたしは日々感じているので、せめて自分はつらいことはつらいと声にして、その連鎖に与しないでいたいと思う。

 ちなみに、つわりの時期に印象だった夫(未届)とのやりとりがある(わたしたちは婚姻届けを提出していない、いわゆる事実婚の夫婦で、住民票には「夫(未届)」と記載されているので、わたしは現状を正確に示す意味でネット上では夫(未届)と記している)。休日、寝起きからずっと気持ち悪くてグロッキー状態のわたしを見て、夫(未届)が「病院行く?」と言ってきた。心配してくれていることはわかったが、つわりで苦しいのもあって「行ってもしょうがないから」と不機嫌に返した覚えがある。嘔吐が続いて飲み物も飲めないとかでもない限り、病院に行ったところで無駄足になることは、妊婦の身としては当然想像がつくことだった。夫(未届)は、育児雑誌などで妊娠期のこともかなり熱心に勉強していたが、とは言え自分の身に起こることではないので、どうしても想像が及ばないところもあったのだろう。つわりがおさまってから振り返れば、夫(未届)を責める気は全く起こらない。ただふと思ったのは、「やっぱはた目から見ても、治療が必要なくらいのつらさだよな」ということ。妊婦は胎児への影響を考慮して服薬などにも制限がかかるが、だからと言ってこのつらさが見過ごされていいことにはならないだろう。以前、医療における男女差別について言及された本を読んだことがあるけれど、妊娠する人間の体を軽視する風潮は、医療界や延いてはこの社会全体に蔓延る男女差別に由来するもののように思える。こういう風潮を少しでも変えていくためにも、やはりつらいことはつらいと言い続けたいなとわたしは考えている。

 

 第二回へ続く……

 

 

【ぽっぽアドベント2023】楽しい話じゃないけど。【9日目】

 ぽっぽアドベント2023!

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 9日目を担当する空尾です。思えばぽっぽアドベントには皆勤賞で参加させていただき、昨年末はぽっぽアドベントの代わりに一人でブログに記事を書いたりしていました。

 

 4年ないしは5年間を通じてあまり楽しい話は書けていなかったように思いますが、今年は輪をかけて楽しくない話なのでそういうタイトルにしています。題材は「物語」。自分の楽しくなさを文章にして人に読ませるのはどうなのか、と思いつつ、この年末、きっといろいろな思いを持っている人がいるだろうから、誰かのアンテナに引っかかればいいなあと思っています。

 前置きはこれくらいにして、以下本文です。

 

楽しい話じゃないけど。

 

 わたしは物語が好きだ。

 読むのも書くのも大好きで、ひらがなをマスターする前から自前の文字を作り出しながら物語を書いていた。三つ子の魂百まで、というやつなのか、三十を過ぎた今となっても細々と二次創作を続けている。物語を好きなわたしにとって、二次創作は二つの好きを味わえる場なのかもしれない。物語を読んで/観て、そこから湧いてきたものを自分の世界観で語り直す。本業は文章を書くことではないから、趣味の範囲でやれている(つまりいつ書くか、何のために書くかといった制約もない)のも、わたしにはちょうどよかった。物語を書くことは基本的に楽しいことだったし、物語の中に自分の問題意識を反映させることで、それまでモヤモヤとしていた何かを言語化できる面白さもあった。

「家父長制をぶっ壊すために二次創作をしています」

 長らくTwitter(X)のbio欄に掲げている言葉だ。この文言を気に入っているだけでなく、こうした言葉を掲げることで自分自身の姿勢をただす意味もあった。わたしは男性同士の恋愛関係を描くことが多いが、それを間違っても「禁断の愛」だとかただの萌えやエモの対象として消費したくないと思ったのだ。勿論わたしが書く物語が完璧でないことなど百も承知だったし(考証のいい加減さは「趣味だから」で済ませるずるさも持ち合わせている)、ある物語の登場人物の関係性に萌えやエモを見出しているのは紛れもない事実である(二次創作のスタートラインはいつでもそこだ)。それでもそこに描き出そうとしているのが、人間の生活であることを忘れたくなかった。たとえ架空のキャラクターであっても、いや、架空のキャラクターであればこそ、きちんと生きている者として扱いたいと思った。自分がこれまで接してきた小説や映画の中のキャラクターたちが、わたしにとって新たな世界を切り開いてくる他者であったように、わたしの二次創作の中のキャラクターも手触りのある存在として誰かのもとを訪れてほしい。そんなことをぼんやりと考えていた。

 物語を読み、そして書くということは、わたしにとって、世界を更新し続けること──新しい世界と出会い続けることなのだと思う。自分が過去にぽっぽアドベントに書いたことを読み返してみても、物語に翻弄され、焦がれ、そして常に生かされてきたことがよく伝わってくる。

 

 そもそも、広く人間社会は物語という虚構によって保たれている、と言うことも可能だろう(国家という巨大な物語!)。そこまで話を大きくせずとも、誰しもが多かれ少なかれ物語の中を生きていることは間違いない。

 だからこそ物語には危険も大きい。最近、ジョナサン・ゴットシャルの『ストーリーが世界を滅ぼす』(東洋経済新報社・2022年)という本を読んだ。正直、この本自体は自分にとって期待外れというか、指摘されている問題点は「まあそうだよね」か「その議論は雑ではないか」のどちらかで、「新しい世界」を見せてくれるものではなかった。著者はアメリカ在住だから、「分断」ということがしきりに言われる国の中で、物語と物語の強固なぶつかり合いの危うさを論じたいという志はわかるように思ったが、私の問題意識とはすれ違っていたのだろう。ただ、この本を読んだことで、わたしは自分の愛読書を再度読みたいと思うようになった。それが、岡真理の『記憶/物語』(岩波書店・2000年)だ。

 この本の内容をわたしはうまく要約できない。ここで論じられているのは、ある(暴力的な)出来事をいかに物語ることが可能か、ということだが、「それはこういうことである」と一文で示すことが困難であることを、何よりこの本は教えてくれているように思う。

 本に書かれていることの一部だけ紹介しよう。阪神淡路大震災の五年後の新聞記事に、震災で息子を亡くした女性の話が物語化されて載っていた。その手の記事を読んだことがある人ならおおよそ想像がつくだろう──女性の辛さをわかりやすく提示しながら、最後には希望が持てるように、まさしく物語のラストにふさわしい文章でもって話は閉じられる。こうした記事を読むことで、読み手は「遠い「他者」の出来事だと思っていたその〈出来事〉を、普遍性をもった出来事として理解する」(同P.83)。筆者はそこに、〈出来事〉を経験しなかった読み手にも理解可能な形で届けたいという記者の目論見と、「〈出来事〉を物語として領有したいという」読み手の「欲望」があるのではないか、と書く。

 

 〈出来事〉を物語として完結させる言葉.そう語ることで語り手は,〈出来事〉を物語として領有する.その物語を読むことで,読者もまた〈出来事〉を物語として領有する.未曾有の〈出来事〉,一瞬の出来事によってかけがえのない息子を奪われるという暴力的な〈出来事〉.だが,息子とどこかでつながっていることを,息子の永遠の命を,海に,雑巾に,日々実感する母.物語は終わり,読者は理解し,感動する.そこには、読む者を不安に陥れたり脅かすものは何もない.なぜなら,すべては理解可能なのだから.(中略)それは,封印なのだ.物語にぽっかりと口を開いたあの開口部,語り得ない〈出来事〉の余剰へと通じるあの穴──黄泉への道筋──を永遠に塞いでしまう封印.

──岡真理『記憶/物語』P.84

 

 わたしがこの本を読むのはこれで三度目だ。でも三度読んで三度ともに、わたしはハッとさせられる。ここで語られる語り手と読み手のある種の共犯関係に、あまりにも心あたりがあったから。そして自分が──物語を愛する自分が、いつまでもいつまでも〈出来事〉を領有したいという欲望にとりつかれていることを知らされるから。

 

 

 *

 

 

 つい先日のこと。わたしは知人の車に乗って、知人ら数人と駅へと向かっていた。そこで繰り広げられていた会話が、どういう流れだったか、イスラエルを支援する企業へのボイコットの話にまで及んだ。

 

「僕たちは、そんな遠い国の出来事にまで心を痛めないといけないんでしょうか」

 

 会話に参加していた一人が、そんなことを口にした。

 わたしは咄嗟に何か言おうとしたが、わたしが何かしら語気強く反論しようとするのを察したのだろうか、「そういえば……」と別の一人が、全く違う話題を出して話を逸らした。

 知人らと別れた後の帰り道、わたしはあの時なんと言えばよかったのだろうとすぐに考え始めた。はじめは、知人の倫理観を責めたい気持ちが強かった。ガザで何が起きているのか知ってるんでしょう、よくそんなことが言えたもんですね! でも自分がそんな風に面と向かって相手を責められないことはわかっていた。相手との関係性もあるし、そもそもわたしはその言葉の機微を完全に把握していたわけでもないだろうから、わたしが記憶するニュアンスとその人の言いたかったことがズレている可能性もある。倫理を問題にするならばどういう意味でそんなことを口にしたのか、もっと質問を重ねるべきだったのだろう。

 そんなことを考えているとあっという間に家に着いてしまった。そこでわたしはそのことについて考えるのをやめ、身の回りの些事に没頭し、今こうして文章に書き起こすまでその問題を保留にしていたことすら忘れている。

 

 そしてこれを書いている今、あることにはたと気付かされる。こんな風にその人の発言を考えたり、忘れたり、また思い出して考えたりできること。これがわたしの「特権」というやつなのだ、と。

 

 「特権」ということばを背負い込むのは、正直なところ気が重い。自分が現在得ている地位・安全・快適さなどが、誰かを踏みつけて成り立つものなのだ、などと誰だって思いたくはない。でも最近Twitter(X)のTLを見ていると、否が応でも考えずにはいられなくなる。誰かの推しの話や今日食べた美味しいものの写真の合間に流れてくる、傷つけられた子ども、項垂れる女性、服を脱がされてどこかへと連れて行かれる男性たち。あまりにグロテスクなコントラストである、などと賢しらに言うことは決してできない。わたしは「遠く」の傍観者ではなく、この世界の一構成員だ。グローバル化の恩恵に多分に与って、衣食住に困らず、ときに推しを追いかけ、親しい人たちと笑い合える暮らしを享受している。TLを構成する要素はわたしの生活の写し鏡でもある。もしも自分を安全圏の傍観者であると思っているのならば、それはわたしが自分自身をそうなるように仕向けているからに他ならない。そしていつでも傍観者の位置に逃げ込めるのが、何よりの私の「特権」なのである。

 もしも知人に、「遠い国の出来事」に心を痛めてはいるのかと問われたら、痛めている、とすぐに答えることはできただろう。新聞記事を読んだりネットの投稿を見たりするとき、全くの無感動に流すことなどできやしない。でもその痛みは、「遠い国の出来事」が、自分にとっても「理解可能」であることを確認するためだけの作業だったのではないか? 小さい子どもの遺体に顔を寄せる男性、弟の遺体に声をかける少年、我が子の亡骸を強く抱きしめる女性。わたしは自分の姪や甥のことなどを思い出し、その写真に涙さえ零しそうになる。でもわたしが可愛がる姪や甥は、無差別な爆撃で死んではいない。母や父を亡くして途方に暮れてもいない。わたしも、わたしの家族も、「天井のない監獄」と呼ばれる場所で生活したことはない。写真に写る人々が経験している〈出来事〉を、わたしが「わかる」ことなど絶対にないのだ。わたしはわたしが勝手に作り上げた物語を、「遠い国の出来事」として、心を痛めたいときにだけ取り出してみては、悲しみという愉悦に浸っているだけではないのか?

 こうして書き連ねながら、この自己批判もまた自己愛の裏返しのような気がしてくるから厄介だ。実際、その通りなのかもしれない。わたしは今日も明日も仕事に行き、それなりにやりがいも感じ、時々は友人らと会って楽しく会話もするだろう。この文章が、自分の良心の呵責をやり過ごすためのエクスキューズと受け取られても仕方ない。でも、「いま自分にできることをやろう」という紋切り型の答えに、早々に飛びつくことはしたくなかった。

 

 わたしは物語が好きだ。読むのも書くのも大好きだ。物語はずっと、わたしの安全圏でもあった。わたしが二次創作を好きなのは、原作の中ではままならなかったものたちを、“あるべき”ところへ押し込めたいという欲望の表れであったのかもしれない。キャラクターを人間として描きたいと言いながら、ある種の人間の在り方や〈出来事〉を、自分の「理解可能」なものに落としこもうとしていたのかもしれない。そして実際の悲劇さえも、小説を読むように映画を観るように二次創作をするように、「理解可能」な物語として「領有」しようとしていたのだとしたら。

 いや、勿論物語にはそんな負の側面ばかりではないし、二次創作には大きな可能性が潜んでいる、そのことはわたしもよくよく知っている。でも物語を愛し続けるためには、物語を愛する自分に──自分の理解には及ばない他者や〈出来事〉(ときに自分自身も)を「理解可能」なものとしてしまおうとするその感覚に──言い換えるなら大いなる「特権」に、メスを入れ続けなければならない。そう、思う(もしくは、そう、思おうと苦心している)。

 知人があの言葉を口にしたとき、たぶんわたしは動揺していた。知人の倫理観などという批判の矛先を真っ先に探したのも、早く自分の考えの落ち着く先を見つけて安心したかったからだ。でもわたしはその問いに触れたときの動揺の中にこそ、身を置き続けなければならなかったのだろう。わたしにとっての真に新しい世界は、自分自身の「特権」性を見直す契機は、その動揺の中にこそあった。

 

 この楽しくない話に結論などないし、結論などとまとめあげてしまったら、ここまで自分が綴ってきたことを裏切ることにもなるだろう。勿論、現在進行形で「ジェノサイド」というとてつもない暴力に晒されている人々に向けてできることを、目に見える形でも続けていきたい。寄付や関係各所への意見送付もそうだが、体調不良と仕事を言い訳にして見送っていたデモへも参加しようと、この文章を書きながら改めて思った(文章を書いて自分の考えを「理解可能」にすることの利点は、こういうところにある)。

 わたしにとってのデモは、声を上げる場というだけでなく、他者の声の中に身を置くことで、何事もわかりやすく理解したがる臆病な自分を動揺させる場としての意味も持っている。SNSや新聞記事でニュースを追うだけのわたしが、せめても「語り得ない〈出来事〉の余剰へと通じるあの穴」を身勝手に塞がないようにするために、自分の世界が思いがけず更新されていくことに待ったをかけないように、「いま自分にできることをやろう」。そんなことを、いま、考えている。

 

 2023年は、人類にとって最悪の年として記憶されるかもしれない。そう記憶される方が、こんな暴力が見過ごされる世界よりもずっといいとすら思う。でも、最悪の〈出来事〉を見過ごした一人にはなりたくない。後になって全く他人事の悲劇の物語として、この年の〈出来事〉を涙ながらに振り返る人間にもなりたくない。

 わたしは物語を好きでいたい。〈出来事〉の余剰を描き得るのもまた物語であることを知っているから。そうした物語がわたしの中の旧い「世界を滅ぼ」していくと信じているから。

 

2023.12.9

空尾

 

私が寄付先に選んだ機関のリンクを貼っておきます。

www.securite.jp

 

www.msf.or.jp

 

 

ぽっぽアドベント2023はまだまだ続きます。明日10日はナブさんです!

放送大学卒業見込みエントリ」というテーマ、とても気になる…!

【2022年まとめ】韓国文学を読んで~取るに足りなさに抗う文学~

取るに足りなさに抗う文学

 

 あの人たちは何に抗っているのだ。取るに足りなさに 取るに足りなさに。

             ──ファン・ジョンウン『ディディの傘』「d」より

 

 2022年、47冊の本を読んだ。その内21冊が韓国文学だった。近年、韓国文学が一種のブームとなっている。その端緒といえるのは『82年生まれ、キム・ジヨン』だろうが、ちょうどこの小説が日本で話題になっていた頃、私はハン・ガンの『少年が来る』を読んで韓国文学をよく読むようになった。

 もともと海外文学が好きだった。中学時代はアガサ・クリスティー作品を愛読し、高校生になってからはドストエフスキー作品にのめり込んだ。大学時代にようやく日本文学の面白さにも気づき始めたが、それでもやはり読む本の半数は翻訳ものだったし、その傾向は働き始めてからも変わっていない。トルストイマーガレット・アトウッドカズオ・イシグロ……。そう、時代は異なるにしても、私が読むのは専ら西洋の文学だった。勿論「西洋」なんて言葉一つで、これらの作家の作品を一括りにはできないが、少なくとも日本以外のアジアの文学に触れた経験が、私にはほとんどなかった。

 

 韓国の作家による作品の、何が今こんなにも私を引きつけるのか。まず私は、文体にその理由を見た。詩的とでも言えばいいのか、これまで読んだどの国の文学とも違う息遣いが聞こえ、気づけば同じように読者である私も呼吸をしていた。勿論、すべての作品が共通のリズムを奏でているわけではない。ただ、私が特に引きつけられる作品たちは、その根底で互いの旋律を響かせ合っているような共通性があるように思えたのだ。

 かつての同僚に、「海外文学は翻訳だから、作品の本当のところを読みとれないのではないか」というようなことを言われたことがある。「本当のところ」というのをどう定めるのかは難しいが(「作者の意図」とでも言うのなら、私たちは一人として──作者自身であっても!──作品に潜む「作者の意図」など読みとれはしない)、その人の言いたいことも理解はできた。つまり、日本語話者である私が日本語で書かれた作品を読むのとは違い、作品と私の間に翻訳者というフィルターが一枚多く介在することをその人は指摘していたのだろう。そのフィルターが、読み手である私を「本当のところ」から隔ててしまう、と。

 私が翻訳された韓国文学に感じる呼吸のリズムは、韓国語そのもののリズムではない。詩性を強く漂わせるそれらの作品について更に読み深めようと思えば、原文にあたる必要性があることも痛感している(私は机の左側に積まれた“未使用”の韓国語の参考書を見る)。私が心地よく思っているのは、あくまで翻訳というフィルターを通した韓国文学の呼吸である。

 

 私が韓国文学に感じるもう一つの大きな魅力、それが歴史的、社会的、政治的視野の広さだ。これは韓国映画についてもよく言われることだが、エンタメ性と骨太の社会性が少しも矛盾することなく共存している。私は、文学においてエンタメ性の強い作品が好きというわけではないが(エンターテインメントに寄ると、どうしても何かをステレオタイプ化して語らねばならないので)、韓国文学はどの作品においても歴史や社会や政治から離れられないという自覚が強く感じられる。「私」が立っている「いま・ここ」が、どんな歴史の変遷の上で、どんな他者との関係性の中で、どんな権力構造によって成り立っているのか、それを冷静に見極めようとする視線が、詩的でありながらもある緊張感を孕んだ語りを生んでいるように思う。その一つの極に達したのが先に挙げた『少年が来る』だが(こんなにも個別具体的でこんなにも普遍性を持ちこんなにも詩的な物語を、私はほかに知らない)、濃淡はあれど多くの作品がその力を持っている。そして今年私が最も感銘を受けたのが、ファン・ジョンウンの『ディディの傘』だった。

 『ディディの傘』は、「d」と「何も言う必要がない」という二作品からなる。それぞれの作品の背景には、「セウォル号沈没事故」と「キャンドル革命」という韓国社会を大きく揺るがした事件が横たわっている(この二つの出来事が地続きであるように、二つの作品も連作として読める)。「d」では、不慮の事故で恋人ddを亡くしたdの日々が描かれる。苛烈な競争社会の下層を孤独に生きるdは、「セウォル号沈没事故」の遺族たちを見かける。初め多くの同情を集めた遺族たちは、後に苛烈な「ヘイト」の対象ともなっていた。そんな遺族たちの姿を目撃したdは、仕事で知り合ったヨ・ソニョからもらったオーディオ機器の、そこに取り付けられた真空管を見て彼らの姿を思い出す。

 

 (前略)dはまた、世宗大路の交差点で感じた真空のことを考え、突然流れが消えたあの空間と、その向こうの、あの場所にとどまっている人々について考えた。彼らとdには同じところがほとんどなかった。他の場所、他の人生、他の死を経験した人たち。彼らは愛する者を失い、僕も恋人をなくした。彼らが戦っているということをdは考えた。あの人たちは何に抗っているのだ。取るに足りなさに 取るに足りなさに。

 

 この文章を読んだとき、私は自分が韓国文学を読む理由はこれだ、と思った。自分が立つその場所がどのようなものの上に成り立っているのか自覚し、降りかかってくる権力を注視し、「取るに足りなさ」に抗うこと。私は息を詰めて、もう一度その文章を読む。そのリズムが私の胸を叩く。私はそのとき、自分にとっての「本当のところ」と出会っているような気がする。

 私とこの小説には距離がある。私は「セウォル号沈没事故」を小説やエッセイや日本のニュースの中でしか知らず、私はこれを翻訳された日本語で読んでいる。でも、その距離が私を「本当のところ」に導いていく。「他の場所、他の人生、他の死を経験した人たち」。私は事故で亡くなった身近な人について思いを馳せ、今も「取るに足りない」存在として扱われるたくさんの人々(そこにはときに私自身のことも含まれる)のことを考える。私が日常使わない日本語のリズム、私から物理的に遠く離れた人々、それらと出会うことで私は私がそうだと思いこんでいる世界の、別の側面を知っていく。私はこの作品の、自分が生きている世界の「本当のところ」をすべて知ることは叶わない。でも自分が立つ「いま・ここ」を見る別の視点へ、日本語に訳された韓国文学を通して手を伸ばすことができるのだ。

 「d」は印象的な一文で終わる。真空管に手を伸ばすdに、ヨ・ソニョが言う。「それはとても熱いのだから、気をつけろ、と」。その熱が私をハッとさせる。dの息遣いを身近に感じる。それは感情移入ということとは少し違う。私はdとは全く違う人間だ。でも同時に、私たちはその熱を感じ取れるくらいにはひどく似通ってもいる。違うことと同じこと、その両方が私たちを繋いでいる。そして私たちが感じるたとえわずかであってもそこに確かに存在する繋がりこそが、「取るに足りなさ」に抗う術なのだ。

 2023年も私は文学を読み続けるだろう。「取るに足りなさ」に抗うために。

 

2022年に読んだ韓国文学(読了順)★特に印象深かったもの

チョン・ミョングァン/斎藤真理子訳『鯨』

キム・ヘジン/古川綾子訳『娘について』

チョン・セラン/すんみ訳『屋上で会いましょう』

チョ・ナムジュ/矢島曉子訳『ミカンの味』

ソン・ホンギュ/橋本智保訳『イスラーム精肉店』★

ミン・ジヒョン/加藤慧訳『僕の狂ったフェミ彼女』

パク・ミンギュ/斎藤真理子訳『三美スーパースターズ最後のファンクラブ』★

チョン・セラン/斎藤真理子訳『フィフティ・ピープル』

イ・グミ/神谷丹路訳『そこに私が行ってもいいですか?』

キム・チョヨプ/カン・パンファ、ユン・ジヨン訳『わたしたちが光の速さで進めないなら』

パク・ソルメ/斎藤真理子訳『もう死んでいる十二人の女たちと』★

チャン・ガンミョン/吉良佳奈江訳『韓国が嫌いで』

イ・ジン/岡裕美訳『ギター・ブギー・シャッフル』

チャン・ガンミョン/小西直子訳『我らが願いは戦争』

チョン・セラン/吉川凪訳『アンダー、サンダー、テンダー』★

パク・ミンギュ/斎藤真理子訳『短編集ダブル サイドA』

チェ・ウニョン/古川綾子訳『わたしに無害なひと』★

ファン・ジョンウン/斎藤真理子訳『年年歳歳』★

ファン・ジョンウン/斎藤真理子訳『ディディの傘』★

ソン・ウォンピョン/矢島曉子訳『アーモンド』

パク・ミンギュ/斎藤真理子訳『短編集ダブル サイドB』

 

韓国文学関連書

キム・エラン他/矢島曉子訳『目の眩んだ者たちの国家』★

斎藤真理子『韓国文学の中心にあるもの』★

 

【再掲】【ぽっぽアドベント2021】難しい顔をしたまま、黄色い歓声を上げろ

※Xをやめてしまったので、ぽっぽアドベント2021に参加したときの記事を、こちらに再掲しておきます。 

 

 ぽっぽアドベント私の望みの歓びよ Advent Calendar 2021 - Adventar)に今年も参加させてもらいます、12日目担当の空尾(@0s0ra0)です。普段は家父長制打破のために洋画界隈で二次創作を……しているはずだったのに、今年はあのBTSにハマって大変なことになっていました。そんな自分の一年を振り返りつつ、己の姿勢を正す意味で今回の記事を書きました。(一昨年は「マッデンとわたし」、昨年は「不機嫌な女でいたい」という記事を投稿しています)

 ぽっぽアドベントのお陰でいろんな人の「生」に触れ、自分自身も生活の手ざわりを確かめさせてもらっているように思います。はとさん、3年連続こんなに素敵な企画をどうもありがとう!

 ではでは、三十を過ぎて初めてアイドルにハマった人間の話を、どうぞ。

 

─ ─ ─ ─

 

 子ども時代、セーラームーンを好きになれなかった。それはセーラームーンに魅力がなかったからではない。わたしにはそもそも、セーラームーンを好きになるという選択肢がなかったのだ。

 

 保育園の庭で野球ごっこをして成長したわたしは、小学校に上がってからは児童館の庭で毎日ドッヂボールに明け暮れていた。ショートカットでいつでもズボンを履いていたためか、しばしばわたしは少年に見間違えられた。遠足ではバスガイドの方に「そこの緑の服の男の子」と呼ばれ、「男じゃありませーん」と答えては周囲から笑いが起こる。気まずげにするガイドさんに対してわたしはケロッとしていたし、なんならその状況を楽しんですらいた。わたしが「男の子的」であると言われるのは容姿のことだけではなかった。男の子のように「活発」で、男の子のように「大胆」で、男の子のように「リーダーシップ」を発揮すること。男の子に間違えられることは、自分がそれだけ「正しく」評価されている証だと思っていた。

 それは裏返せば、「女の子らしく」あることがわたしにとっていつでもマイナスの価値を持っていたということだ。セーラームーンを好きだとか、スカートを履くだとか、わたしはそういった目に見える「女の子らしさ」を拒絶した。そうすれば、「陰湿」で「うじうじとした」女の子の輪から自分は抜け出せると、そう思っていたのだ。

 

 そんなわたしに、アイドルを好きになるなんて選択肢は、勿論どこにも存在しなかった。姉は壁にジャニーズのポスターを貼っていたけれど、わたしは数年後、姉から譲り受けた四畳半の一人部屋に、お気に入りのプロ野球選手のポスターを貼った。

 プロ野球を好きだと言うと、こちらの知識を測ろうとする男性にしばしば出会う。わたしはその度カチンときて、彼らに知識をひけらかすことで自分が「正当」なファンであることを示そうとしてきた。ひいきチームの戦力を分析し、お気に入りの投手の持ち球や投球フォームに言及し、優勝争いの行方について一家言呈する。そうして「ずいぶん詳しいんですね」と質問者の男性が苦笑いで引き下がったとき、ようやくわたしは胸を撫で下ろすのだ。ああ、ミーハーな女だと思われずに済んだ、と。

 

 今ならわかる。これらはすべて、知らぬ間に嵌められていた「女らしさ/男らしさ」の枷のようなものだったことが。私は「女らしさ」の枠に当てはめられることに、幼少期から強い違和感を抱いていた。でもそうした「らしさ」についての違和感を発散する方法が、自分が「男のように」評価されることだというのは、あまりにも皮相である。それでは「女らしさ/男らしさ」の枠組みを壊すことにはつながらないからだ。

 そんなことが少しずつ見えてきたのが、おそらくここ数年のことだ。映画『キャプテン・マーベル』の中で、ブリー・ラーソン演じる主人公は、ジュード・ロウ演じるかつての師に「お前に(私の強さを)証明する必要なんてない」と言い放った。わたしはプロ野球ファンであることを知識量で証明する必要なんてなかったのだ。わたしは「女らしさ」に当てはめられることを嫌がりながら、その「女らしさ」の枠組みの中にいる人たちを軽蔑していたも同然だった。いわゆる「名誉男性」として誰かに認めてもらおうとすることは、結果的にその枠組みを強化することにもつながる。わたしがするべきだったことは、ニヤニヤと笑いながらこちらの知識を測ろうとする男性に対して、不機嫌な顔でこう答えることだった。

「はあ、それが何か?」

 

 振り返れば、2018年の春に行ったUSJで、わたしは自分の変化を実感し始めていた。ちょうどその時やっていたアトラクション「美少女戦士セーラームーン・ザ・ミラクル4-D」を体験し、すっかりその世界に魅了されたのだ。セーラームーンは輝いていた。どうして今まで、この輝きに気づけなかったのだろう? 「らしさ」の呪縛は、外からかけられるものばかりではない。わたしはわたし自身の思い込みを脱ぎ捨てる必要性を感じ始めていた。

 

 そして、2020年末。ついにその時が訪れた。

 

 BTS。その名前ならもちろん知っていた。友人が数年来のファンで、何度も映像を見せてもらっていたし、2年くらいかけてメンバー7人の顔と名前も一致してきていた。セーラームーンの魅力に気づけたように、わたしの中のアイドルに対するハードルもだんだんと下がってきていたのだろう。

 その日は、TwitterのTLで、彼らがFNS歌謡祭に出ることを知った。せっかくだし見てみようと、そんな軽い気持ちでテレビをつけたと記憶している。Dynamiteはキャッチーないい曲だなと思っていたし、彼らのパフォーマンス力の高さもわかっているつもりだった。実際、その時のパフォーマンスも良く、「ああ、BTSを見るとBTSが見たくなるな……」などと呟きながら、何の気はなしにYouTubeで彼らの映像を見始めた。そして……

 

 落ちた。

 

 沼落ち、という言葉がある。でも私は彼らにハマったことを、そう表現したくはない。だって「沼」は彼らの存在に相応しくないからだ。たとえるならせめて「泉」くらい清らかなものにたとえたい。彼らはわたしの日常に確かに潤いを与えてくれた。

 

 7人のメンバーみんなが素敵で大好きだけれども、わたしにも「推し」のメンバーがいる。チームのダンス長J-HOPEだ。今回、ぽっぽアドベントのテーマが「私の望みの歓びよ」だと知ったとき、真っ先に彼の顔が浮かんだ。希望の名を冠する推しについて語るのに、これほどうってつけの文句もないだろう。

 彼の魅力について語るとキリがないので割愛するが(ただ、彼が本当に素晴らしいダンサーであり、プロとしての矜持を持ったパフォーマーであることだけはここに申し添えておきたい)、ハマりたてのときの印象的なエピソードを一つだけ挙げたい。わたしは誰かに心を寄せると、すぐにその人のイメージを自分の中で作り上げたくなってしまう。2年前は俳優のリチャード・マッデンにハマり、彼についての概念をこねくり回して毎日を過ごしていた。J-HOPEについてもハマりたての頃、「J-HOPEってクリスマスにみんなに靴下編んでくれそう」などと、彼についてよく知らないなりにイメージを広げてTwitterで呟いていたのを覚えている。すると複数のフォロワーから待ってましたと言わんばかりに、同じ情報が寄せられた。「靴下は編んでないけど、ビーズのブレスレットならメンバーに作ってあげてました!」

 

……え?

 

 親切なフォロワーが送ってくれたURLから飛べば、J-HOPEが一人で色とりどりのビーズを前にブレスレットを手作りしている1時間半の映像にたどり着いた。1時間半、彼はメンバーそれぞれをイメージしたブレスレットを、ときにファンのコメントを読み上げながら、ときにスタッフにお願い事をしながら、ダラダラしゃべり続けて作っていた。1時間半、わたしはその様子を見守っていた。そして1時間半後に、わたしは悟ったのだ。もう自分が後戻りできないところまで来てしまっていることに。

 さすがに愛称で呼ぶのはまだ早い……なんて友達に言っていた三日後には推しのことを「ホビホビ」と呼び始めていたし、ファンクラブにも入ったし、無料有料問わず彼らの動画を毎日のように見ていった。仕事のないときは四六時中彼らのことを考えていたと言っても過言ではないし、恐ろしいことに、その状態が一年経った今でも続いている。Spotifyによれば、今年わたしはButterを220回聞き、14617分彼らの楽曲を聞いていたらしい。

 

 こんな風に世界的な男性アイドルにハマるなんて、学生時代の自分からしたら想像もできないことだった。BTSを好きになったと話すと、周囲の人は「意外とミーハーだったんだね」と苦笑する。

 わたしはこれまで、所謂メインストリームの音楽とは一定距離を置いて接してきていた。学生時代は神保町のジャニスやら大学近くのレコード店やらに行き、都内の様々なライブハウスに足しげく通い、オールタイムベストバンドは「たま」だった。勿論今でもその時出合った音楽が好きだし、その時形作られた感性が自分自身の礎になっていると感じるし、「たま」を超えるバンドはいないと今なお確信している。でも、学生時代の自分がどこか通ぶって、人の趣味を鼻で笑う仕草を身に着けていたこともまた否めないと思う。セーラームーンの魅力に成人してからようやく気付けたように、三十を超えてようやくわたしは、ミーハーな自分にたどり着いたのだ。

 

 *

 

 「私の望みの歓びよ」というテーマに沿って書くなら、この文章をここで書き終えてもよかったかもしれない。けれどもわたしは今年のぽっぽアドベントのこの記事を、「らしさ」の呪縛から逃れ、新しい自分と出会った「良き物語」として完結させたくはない。

 

 わたしはこの一年、BTSの7人を無我夢中で追いかけ、文字通り希望をもらって生活してきた。彼らがファンに向かって「ずっと一緒にいましょう」と、未来を約束するように呼び掛ける姿を見るのが好きだ。その約束が果たされるかどうかは些末な問題で、「いま・ここ」を精いっぱい生き抜くしかない人たちに、それはどんなにやさしい慰めになるだろうと、いつも胸を締め付けられるから。

 でも、同時にわたしはこうも考える。この甘美な「いま・ここ」は、いったいどれほどの搾取の上に成り立っているのだろう?

 

 韓国(に限らないのかもしれないが)のアイドルたちが、過酷な練習生時代を経ていることはつとに有名である。BTSのメンバーが語る練習生時代の話も、聞けば聞くほどこちらがつらくなってしまう。彼らが語る過去の「努力」を一方的に否定したいのではない。ただ少なくとも、周囲の人間がその「努力」を美談にしてはならないと強く思うのだ。彼らの「努力」の陰には、アイドルになれなかった人たちの無数の「努力」があり、そこには個人の夢が破れたという小さな物語に留まらない、若者を駆り立てる大きな力が働いている。

 更には、アイドルたちの「努力」の中には、あまりに強すぎる「美」への脅迫も含まれているように思われる。わたしはそれほど韓国芸能界に詳しいわけではないが、アイドルたちが課されている、特に容姿に対するプレッシャーはあまりに大きい。

 プライベートを嗅ぎまわられるのも「有名税」なんて言葉では許されないし、一部のファンは彼らに対し、時に激しく横暴な振る舞いに出る。アイドルを取り巻く状況は、あまりにも過酷だ。

 

 そして問題は、アイドル本人たちの周囲だけには留まらない。彼ら/彼女らを追いかける大勢のファンたちの周りにも、大きな落とし穴がある。

 わたしが彼らにハマった要因の一つとして、YouTubeの存在があった。テレビで見かけた彼らの名前をそこに入力すれば、無数の動画がサジェストされる。その内のいくつかを見ていくと、おススメ動画が次々に挙げられ、気づいたときにはどっぷりと彼らの世界に浸かっていた。それは非常に楽しい時間ではあったのだけれども、頭の片隅では「ああ、こうやって人は陰謀論なんかにハマっていくのかな」とも考えていた。彼らと陰謀論を並べて語りたくはないのだが、見る者を一つの世界に囲っていく巧妙な仕掛けがそこにあることは間違いない。

 そしてそれは、スムーズに購買意欲に接続する。気づけばわたしの家の一角にも、彼らのグッズコーナーが出来上がっていた。彼らを追いかける日常は、欲望を刺激され続け、消費者として資本主義の一部に組み込まれている自分自身を否が応でも突き付けられる日々でもあった。

 

 この記事を書く少し前に、BTSの二回目の長期休暇が発表された。デビューして8年、長期休暇がまだたったの二回目であることに胸を痛めたのは勿論のこと、その発表とほとんど時を同じくして、インスタの個人アカウントが開設されたのにも複雑な思いを抱いていた。彼らの投稿が楽しみではあるけれど、世界的なスターである彼らであっても、このあまりに移り変わりやすい世界の中では全くの空白期間を設けることは許されないのだ(それでも年末年始という時期に休暇を取ることは、アイドルとしてはかなり思い切った決断だったと想像するが)。

 

 BTSにハマりながら考えることはそれだけではない。韓国のアイドルを好きになったとき、やはり韓国と日本の間の歴史について考えることは避けられない。

 「親日反日」のような言葉で韓国人をジャッジする日本のファンを見る度、その言葉が負う歴史的な文脈への無理解、自分が他者を一方的に裁ける立場にあるかのように思っているその傲慢さに、クラクラとめまいがしそうになる。何度「韓流ブーム」が来ても、日本国内における朝鮮半島にルーツを持つ人たちへの差別はなくならない。いや、そうした差別意識は、メディアやSNSを通じてどんどんと広まっていっているとも言えるかもしれない。ここ数年、一見親切そうな人たちの中にうっすらとした差別意識を発見して、ぞっとすることが何度もあった。

 でもそれが、わたしが生きる国の現実でもある。そこから目を背けて推しを追いかけて、「難しいことなんて考えずに楽しもうよ」なんて、わたしにはとても言えない。

 

 そう、言えないのだ。

 

 彼らと出会って、わたしには一つの夢ができた。いつか友人と彼らのコンサートに行き、彼らのパフォーマンスに黄色い歓声を上げること。だってわたしは(わたしたちは)、間違いなくミーハーな女だから。それの何が悪いの? そう世界に向かって、自分に向かって宣言するために、わたしはその日を心待ちにしている。

 そして同時にわたしは、そんな時でさえ自分が難しい顔をしているだろうことを知っている。アイドルもアイドルを追いかける者も、「いま・ここ」を資本主義のはかない夢に向かって駆り立てられながら生きている。その「いま・ここ」は、歴史的な文脈と無関係では全くない。そして大人になったわたしには、「いま・ここ」にある社会を担う一員として果たすべき責任がある。

 うつくしくコーティングされたアイドルの表層的な面だけ楽しんで、歪なシステムに加担している自分を問わない人間にはなりたくない。難しい顔をしないでいられるのは、マジョリティの特権の上に胡坐をかいているのと同義であると知っているから。

 

 アイドルのことも朝鮮半島の歴史のことも、まだまだわたしは勉強不足だ。つらいことがあると社会に向かって声を上げる前に、推しに逃げてしまう自分の弱さを克服できずにいる。それもここにこうやって書くことで、怠惰で甘えたな自分を許されたいだけなのかもしれないとも思う。

 

 ああ、軽やかになんて全然生きられない。軽やかになんて生きたくない! わたしは重い体と頭、それから痛む腰を抱えて、難しい顔をして生きていきたい──そして、そう、もちろん、ときに黄色い歓声を上げながら。

 

 それが、たぶん、いまのわたしの、ほんとうの「望みの歓び」だ。

 

2021.12.12 空尾

 

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 明日、13日はにじろさんの担当です! どんな手ざわりの「暮らし」に出会えるのか今から楽しみです。